ちょうどよいコンプレックスが人生に必要なのかもしれない

この1年は、内省が多い年だった。

なんでこの人と結婚したんだろうか、
なんでここに引っ越してきたんだろうか、
なんでこの仕事を続けてきたんだろうか、
なんでこんな性格に育ってきたんだろうか。

30歳くらいまでは、なんとなく、人生こうなるんだろうなと
予想してきたとおりに来たような気がするものの、
いざ30を超えてこなれてきた頃になると、この先のイメージがつかなくなってきた。

子供ができたり、家を買ったらそれに引きづられて人生変わるんだろうか。

 

物心ついたときの親父は35くらいの年だった。
その頃の親父は、佐川急便をクビになり、プー太郎をしてた親父だった。
子供と住宅ローンに必死になって、解体業やったり保険屋やったり、
子供の目からは、佐川で真面目に働いてれば楽だったろうにと思った。
あとから聞くと、不当解雇でクビになり、戻ろうと思えば戻れたのにプライドで戻れなかったと。

 

今、段々と親父に似てきた自分を前にして、
クビにはならなくとも、やれる仕事がない会社で、打ち込めなくなってきた気がしている。

たしかに、第一志望だったSIerでは働いていない。
どちらかというと、社会から嫌われているような会社で勤めている。

学生時代、ミーハーで嫌われていた学園祭の実行委員会で、
誰もやらないからと名前を貸して、仕舞いには会計責任者をやっていた状況に似ている。

そんな嫌いで仕方なくやった学園祭の実行委員は、
自分たちは他人からの見えが悪いことをコンプレックスにしながら、
それを克服しようと頑張って、自分なりよい結果と友だちを得た。

 

きつい仕事をがんばってた親父をおもだしたり、
外から嫌われているなかでも価値を見出したりすることの大切さを考えると、
仕事を干されているような状況でも耐えたほうが良いのかと思う時がある。

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